刹那の同心を永遠に

(絵・林淑女)

仏教のため、衆生のために発心立願する人々を褒め称えても、人生がとかく行き来することに嘆きを感じます。 一個人の力には限りがあり、より多くの善人を集めて大愛を広め、愛のエネルギーを結集して永劫のものにしなければなりません。

過ぎ去った一年は、新型コロナ感染症が世界を覆いました。新年が訪れても願うはただ萬物が栄える喜びに満ちた良い年であること、そして毎日が春節であるかのように、お互いに祝福しあい、平安であることを祈っております。さらに世の中が平穏無事で人々が善念を抱き続け、心は日々良い考えを持ち、口では良いことを話し、身で善行を実践することを期待しています。

今回の疫病は全世界を恐慌と不安に陥れましたが、平穏無事に過ごせたことに絶えず感謝し、更に行動を以て慎み戒め、敬虔な心を表さなければなりません。皆がマスクをつけてお互いに守っていますが、源に立ち返って、口と疫病に何の関係があるのかを考えなければいけません。

世界の人口が増加すれば、欲もまたそれにつれて増長します。欲念の扉が開かれた時、破壊をもたらす最大の源は口による欲です。世界人口七十数億人が、毎日、口に入れる生き物は二億余りに上り、一年で八百億余りの家畜を飼育しなければならず、その呼吸と排泄物で土地と水源、大気が汚染されています。

人は一食に二杯のご飯で満腹になりますが、これら家畜は何カ月または何年も飼育する必要があり、その食用とする穀類は膨大な量に上り、人類の分まで奪っているのです。食卓に上るのは僅か数十分で、数切れの肉に過ぎませんが、人々はそれで本当に健康になれるのでしょうか?口を満足させるだけとは言え、実は細菌を呑み込み、地球環境に多大な破壊と汚染をもたらしています。益々重くなるその業力は衆生の共業となり、壊滅的な災害を引き起こしています。

疫病という災難が無くなるかどうかは人心にかかっています。菜食は人心を支える最も根本であると同時に、最も完璧な愛であり、人を愛するだけでなく、萬物の生霊をも愛さなければなりません。精一杯、戒を守って菜食するよう呼びかけ、人々がけじめを持って秩序から外れず、更に愛を広めれば、それだけ殺気は少なくなるのです。汚濁した疫病が早く終息し、マスクが要らなくなり、再び新鮮な空気に包まれることを期待しています。

生生世世に亘って進む方向が
一瞬のぶれもないようにするのは、
一瞬一瞬の心の持ち様にかかっている

年末の行脚で二度の歳末祝福会を執り行いました。合わせて六十日の間、現代テクノロジーに感謝しています。私の声は台湾全土だけでなく、全世界に届き、何処へ行っても慈済人は「オンラインで法師と共にあり」、私の話を聴き、私が話した法を伝承して広め、私がしたいと思う善行をしており、私はとても満足し、安心しました。そして、行脚から戻った時、自分の今世の方向が悔いのないものであることに自信を深めました。

仏陀は、衆生には皆、仏性が備わっていると言いましたが、私は、歳末祝福会で皆が法を心に入れ、同じ信念の下に「刹那の同心が永劫に成っている」のをこの目で見届けました。仏陀が大いなる因縁によって人間界に来られたのは、菩薩法を教え、さらに身でもって努め励むためでした。このような時代のこの社会に、これほど多くの人が同心を持ち、この世の平安と疫病の終息を祈願していることに、私は感謝と感動を覚えました。

これまでの歩みの中で、大愛という永遠の情を感じました。「賛嘆」は三つしかありません。誰もが生生世世、「仏教のため、衆生のため」を決して忘れず、誠意のこもった言葉が心から発せられていた故に、私もそれを心から受け取ることができました。誰もが仏性に回帰していることが、私の一つ目の賛嘆です。

二つ目の賛嘆は、人は元より善が備わっていることです。五十銭の「竹筒歳月」に始まり、身の程知らずの私は慈善と病院建設を始めましたが、善行に対する人々の支持は泉のように湧き出て、私に自信を与えてくれました。慈善、医療、教育、人文のどれを取っても、五十年来人の役に立ち、社会に影響を及ぼして来ました。私は、志、願、力のある慈済ボランティアがその量と外見に執着せず、より多くの人を呼び寄せてこの道を切り開いて来たことに賛嘆しています。

与えた力の多さにかかわらず、私はいつも同じように感謝しています。長年、全力で支持してくれる多くの人々は、私に随行して片隅に座り、私が彼らのことに言及しなくても気にしません。嬉しいことに、そうして彼らは「三輪清浄(無我相、無人相、無物相)」の修行をしているのです。

三つ目の賛嘆は感嘆でもあります。人生は行き来しますが、それは自然の法則です。特に今回の行脚では、会いたいと思っても永遠に会うことができなくなった人がどれほど多かったことか。弟子が先に逝けば、私は心が痛みますが、師弟関係は生生世世の約束事であり、先に逝った者が必ず戻ってきて道を切り開き、法師が戻って来た時、一緒に前進するものと信じています。

皆さんが私に追随する方向は同じだと思います。発願して菩薩になるには、観世音菩薩の助けを聞いて苦を救う精神と、地蔵菩薩の広く衆生を済度する願がなければなりません。災害が増えているこの世では、一人の力はまるでトンボが水を揺らす程度のもので、なかなか行き渡ることは難しいのです。尽きるところ、より多くの善意の人を集めて大愛を広めれば、虚空に行き着き、遍く法界に届くことができるのです。

時は全てを累積して成就させるため、人とも事とも争わなくても、私は時間がとても気になるのです。時を留まらせることはできませんが、私は時を大切にしています。毎日、何日過ごしたかではなく、何秒過ごしたかと、慎重に慎重を重ねて歩んで来たこの人生は僅かな偏りもありません。生生世世の方向は秒ごとの信念によるものです。皆さんも愛のエネルギーを永劫なものにしてください。


(慈済月刊六五二期より)

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